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 ラブラドゥードル 歴史
Rutland Manor 15th February 2004 May not be reproduced in whole or in part without written authorisation from Rutland Manor 当ページに掲載されている画像および文章の一部、または全体をラットランド・メナーの文書での許可なしに使用、転載、改変することは固く禁じます。 現在、オーストラリアン・ラブラドゥードルの始まりに関するたくさんすぎるほどの情報がインターネット上で紹介されています。 下記の情報はコンラン氏との対談によって得られた情報です。 コンラン氏は1988/1989年にオーストラリア・メルボルンにある、 ビクトリアガイドドッグにおいて、ラブラドールレトリバーと スタンダードプードルを意図的に交配した第一人者です。 このページの情報・画像は、著作権で保護されており、 ラットランド・メナーの明確な書面での承認なしに、一部または全体を複写することを固く禁じます。

このページはラットランド・メナーの情報を元に、Labradoodle Paradiseが和訳したものです。
Labradoodle Paradiseの許可なしに、このページの情報を複写することを固く禁じます。

■誕生 オーストラリアン・ラブラドゥードルの歴史は、犬種同様、ユニーク、かつ感動的なものです。 初代ラブラドゥードルは、1988年オーストラリアのメルボルンにあるロイヤルガイドドッグにいた、ウォリー・コンラン氏がラブラドールとスタンダードプードルを交配することにより誕生しました。 ハワイに住むある女性が、アレルギーを持つご主人のためにアレルギーフレンドリーなガイドドッグを依頼しました。 約33匹のプードルのまとまった毛と唾液がサンプルとしてハワイに送られましたが、どれもいい結果が出ませんでした。 それから2年後、コンラン氏はガイドドッグの責任者の元へ出向き、 ラブラドールとスタンダードプードルを交配することを提案したのです。 最初の交配ではたった3匹しか産まれませんでした。 まとまった毛と唾液が再びハワイに送られ、その結果3匹のうちの1匹のサンプルは アレルギーフレンドリーなものだったのです。 でもすぐに次の壁にぶつかりました。 ロイヤルガイドドッグはいつも「パピーウォーカー」を希望する人たちでいっぱいだったのに対して、 この「雑種」に対しては誰も家を提供しようとしなかったのです。 ウォリーは子犬がパピーウォーカーの家庭に入り、適切な社会性を身につけるのがどれだけ大切か分かっていましたが、 先行きは暗いものでした。 「何かいい方法を考えなくては」と考え抜いた末、ウォリーはガイドドッグとして新しく研究された「ラブラドゥードル」という犬の情報を持って、 メルボルンのテレビ番組に連絡を入れました。 テレビが放映された後は、「パピーウォーカー」を希望する人たちで電話はパンク状態にまでなったそうです。 ハワイに送られたサンプルのうち、アレルギー症状の出なかった子犬は白いオスで名前は「サルタン」と言いました。 他の2匹もレメディドッグ、盲導犬としてそれぞれ成功をおさめました。しかしウォリーによると2匹ともアレルギーフレンドリーな犬ではなかったそうです。 最初の交配が成功した後、ウォリーはラブラドゥードルとラブラドゥードルの交配、つまり「ダブルドゥードル」と呼ばれる犬を創り出しました。 そして次にはダブルドゥードル同士を交配して「トゥリドゥードル」が誕生したのです。「びっくりすることばかりだった」とウォリーは振り返ります。 ガイドドッグとしてラブラドールを希望していた人々の電話が、その中の20〜30人はオーストラリアン・ラブラドゥードルを希望するようになったのです。31匹のラブラドゥードルの子犬が育成、訓練され、29匹はガイドドッグとしてテストに合格していたのです。 ケイト・ショフェルという政府認定の獣医師がニューサウスウェールズのコンドブリンというところに住んでいました。 ウォリー・コンラン氏が引退した後もケイトはウォリーと密接に連絡を取り合い、ミニチュアプードルとラブラドールの交配を始めました。 2005年現在も彼女は初代ミニチュアラブラドゥードルとミニチュアプードルを交配しています。 ウォリーは40年もの間、ロイヤルメルボルン農業展覧会で牛の競技会の審査員に関わってきました。 そして2004年にガイドドッグとの関わり合い、経験などを書いて本を出版しました。 彼はまたいつも馬に対する情熱を持っていて、引退後はサラブレッドと一緒にビクトリア・オーストラリアで暮らしながら、馬術の指導などをしています。彼には素晴らしい2匹のオーストラリアン・ラブラドールが一緒です。 彼に「オーストラリアン・ラブラドゥードルの今の人気が昔、想像出来ましたか?」と聞いたところ、「そうだね、実際あまり驚いていないんだよ。彼らは本当に素晴らしい犬だからね」と答えました。
■初期の問題初代ラブラドゥードルはかなり大型でした。 体高は66cm以上あり、体高51cm以下の犬はミニチュアサイズとして分類されていました。多くの初代ラブラドゥードルは「がんこな性格」で、ハイパー、活発すぎることもあり、ティガンパーク、そして我々ラットランド・メナーのレスキューサービスでは、この大きくて優位に立とうとする、そしてとても賢い犬の保護を依頼する家族のラブラドゥードルを引き取るのに大忙しでした。 ほとんどの犬は、しつけをし直した後、再び家族に迎えられていきましたが、習慣の抜けきれない犬たちは残念ながら安楽死させなければなりませんでした。 多くの家族が共通して言ったことは、この小さくてかわいい子犬が成犬時にどれくらい大きくなるのか、ブリーダーから説明されていなかったことです。その他には「これらの犬はラブラドゥードルという犬だから、アレルギー症状は出ない」という説明を受けていたことです。 残念ながら、初代ラブラドゥードルはアレルギー フレンドリーというタイプは少なく、レスキューでどうなるか分からない犬の身を案じ、たくさんの家族が涙を流して辛いお別れをしなければならなかったのです。 しかし中には素晴らしい犬も交配されていました。 そしてその犬たちに勇気づけられ、2つのブリーディング&リサーチセンターで選ばれた親犬たちによる交配が行われたのです。進歩はゆっくりでしたが、確実で将来性があるものでした。
■現在の問題 2004年〜現在も多くのF1ラブラドゥードル(ラブラドールXプードル)が交配されています。 マルチジェネレーションではなく、初代交配してきた犬と同質になります。充分なリサーチもせずに交配され、気質に問題があったり、抜け毛のあるたくさんのラブラドゥードルが2005年末には、保健所で処分されています。 (豪欧米) 日本でもこれからオーストラリアン・ラブラドゥードルの人気がうなぎ登りになり、オーストラリアやアメリカで起こった知識不足の乱交配が行われる可能性が高いです。

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